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| 文化9(1812)年、江戸時代後半の福岡・博多の様子が克明に描かれた「福岡城下町・博多・近隣古図」の一部(実物は223.2cm×266.5cm)。 |
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文/湯浅玲子
写真/志賀智 |
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江戸時代から昭和期までの福岡・博多に関する絵画・地図などをネット上で閲覧できるシステムが「九州大学デジタル・アーカイブ」。その構築に携わったのが、近世の民衆文化を研究している九州大学准教授の宮崎克則先生です。古地図から見えてくる福岡・博多の様子をお聞きしようと大学を訪ねたところ、案内されたのは江戸時代の大きな地図の複製が広げられた部屋。その地図をのぞき込みながら取材がスタートしました。果たしてどんな興味深いお話が聞けるのでしょうか? |
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| ―プロフィール― Profile 1959年、佐賀県唐津市出身。82年、九州大学文学部史学科卒業。2000年より現職。文献資料・口頭伝説・記念碑などを利用して近世日本の民衆文化論を研究している。また学術資料の一般公開をめざした「九州大学デジタル・アーカイブ」の構築に携わる。著書に『古地図の中の福岡・博多』(海鳥社)など。 |
福岡・博多の歴史や由来が書き込まれたユニークな文化地図。 |
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宮崎「これは福岡藩の家老を務めた三奈木黒田家に伝来した絵図の複製で、江戸時代後半の19世紀初め頃の福岡・博多の様子を描いています。縦横2メートル以上もあります。今の街並と比較すると、いろいろと面白いことがわかります。例えば、那珂川から東側の博多部は、太閤町割でできた町なので道が碁盤の目状にまっすぐ通っています。しかし福岡部の方は軍事都市だったので姿を隠しやすいように道が互い違いになっています。現在の西鉄グランドホテル前の道路が不自然に曲がっているのも当時の名残です」 ※以下「」内すべて宮崎氏 ―福岡と博多はまったく違う町だったのですね。 「那珂川から西は武士の町・福岡で、博多側からは容易に出入りできないよう、大きな門や石垣が設けられていました。門や石垣は城下町の四方に設けられていましたが、とりわけ博多に面した場所には立派な門が立ちはだかっています。博多商人はお金も力も持っていましたから、福岡藩も対抗意識を燃やしていたのかもしれません。反対に西側へ通じる門「黒門」は、それほどではありません。こちら側には足軽たちが住んでいました。ちなみに今では繁華街として知られる中洲ですが、当時は誰も住んでいない野原だったんですよ」 ―現代の住宅地図のように各家の氏名も載っていますね。 「名前が載っているのは武士の屋敷だけで、足軽や商人の家には名前はありません。しかも高級官僚と思える屋敷には家紋までしるされています。そうしてみると現在の天神・大名・赤坂界隈には有力な武家屋敷が集まっていて、いわば超高級住宅街のようなところだったことがわかります。西鉄グランドホテルの場所には間島さん、旧岩田屋には岡田さんの屋敷がありました。また大名のJTのビルの前に大きな銀杏の木がありますが、もともとこの地にあった飯田さんの屋敷の大銀杏が今でも残っているのです」 ―地図のあちこちに文章がたくさん書かれていますね。
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