南朝方の奇襲部隊が、小弐勢の背後に回りこむため、深夜の闇の中を潜行したとされる、宝満川と草場川が合流する横隈付近。花立山のシルエットが美しい。(写真提供:森近 勉 氏)
 
文/湯浅玲子   写真/志賀智

 古くから交通の要衝であった福岡県小郡市は、さまざまな歴史の舞台となってきました。現在は福岡・久留米のベッドタウンとして発展を続けていますが、新しい人口の流入で小郡の歴史や文化を知る人が少なくなっています。今年650周年の記念イベントが行われる大原合戦も知られざる小郡の歴史のひとつ。今回は同実行委員会で広報委員を務める岩佐隆治さんに、小郡の見どころや記念イベントについて伺いました。地元の人もよく知らない小郡の魅力が発見できるかもしれません。
 

―プロフィール―
1949年、福岡県生まれ。約35年前より小郡市に在住。地元百貨店の岩田屋に勤務し、2001年より広報室長を務める。在任中に企業の広報戦略を構築するなどした豊富な経験を生かし、小郡市の地域おこしイベント「大原合戦650周年実行委員会」では広報委員を務める。現在は岩田屋外商部久留米勤務。

小郡の隠れた魅力を再発見して、次の世代に伝えていくために。

 
↑北朝(少弐勢)方1万8,000人、南朝(菊池勢)方6,900人という死傷者を出した大原合戦。
血に染まった太刀を洗ったとされる大刀洗川の畔に立つ菊池武光の銅像。
今回の記念イベントのきっかけは何でしょう?

 岩佐「この大原合戦という戦いは、鎌倉幕府崩壊後、中央政権が南北の朝廷に分かれ、その争いが九州にまで波及し、ここ大保原(小郡付近)が主戦場となり、南北朝時代の戦史に残る一大決戦が繰り広げられました。大原合戦の歴史的・文化的遺産は、現在も小郡を中心に近隣の市町村に数多く残っています。しかし、私たちのふる里・小郡の歴史に大きな足跡を残した戦いとは言え、その史実を知らないという市民が増えてきているんです。学校でも教えていないので、地元の小中学校に通った私の子どもたちも大原合戦のことは知らないと言います。実行委員会では、そうした状況を危惧し、ちょうど650周年を迎える今年こそ、郷土の歴史や文化を知っていただく絶好の機会と思い、周年イベントに取り組むことになりました」
※以下「」内すべて岩佐氏

―岩佐さん自身は大原合戦に詳しかったのですか?

 「私も歴史は好きなのですが、大原合戦の歴史背景まではあまり詳しくありませんでした。昨年から勉強を始め、歴史に詳しい郷土史研究家の方々にいろいろとご教示いただきました。郷土のことを調べてみると、小郡には隠れた魅力がたくさんある。岩田屋では広報の仕事をしていましたから、その視点で見てみると、メディア媒体への情報発信が控えめなのではないか…と感じていました。近隣の、うきは市や八女市には、棚田や特産品などという町ブランドが定着していますが、小郡に何があるかというと、すぐには思い浮かばない。けれどもないわけではなく、あまり知られていないだけなんです。例えば鴨料理。小郡は溜池が多く、鴨がたくさん飛来したため、久留米・有馬藩の御用猟場となりました。以来、鴨料理が郷土料理として受け継がれています」

―歴史的なスポットもたくさんあるのでしょうね。

  「大原合戦に関連した場所では大中臣神社の「将軍藤」があります。これは大原合戦で負傷した南朝方の将軍・懐良親王が、大中臣神社の加護で全快し、お礼に藤の木を献納したと伝えられるもので、毎年見事な花を咲かせています。また全国でも珍しい七夕神社。正式には媛社神社と言い、8世紀頃の書物にも登場するという古い神社です。毎年8月7日には盛大な夏祭りが行われます。そして小郡全体を見晴らせる花立山には300を超える古墳が点在しています。小郡には江戸時代に筑前街道が通っていましたが、その宿場跡が「松崎宿」として保存されています。またユニークなところでは、通称「かえる寺」と呼ばれる如意輪寺。住職さんが集めたカエルの石像や民芸品が所狭しと並んでいて、その数なんと3000匹以上というから驚きです」

―本当にたくさんの見どころがあるのですね。

  「そうなんです。こうした隠れた史跡や歴史など小郡の特色を、これを機会にもっと内外にアピールし、観光・地域振興につなげていきたいと考えています」
 

 南北朝時代の1359年8月、筑後川流域の小郡でくり広げられた大原合戦は、別名「大保原の合戦」、「筑後川の戦い」とも呼ばれ、日本三大合戦のひとつとして歴史に残っている。
南朝(後醍醐天皇)方の懐良親王を総大将とした菊池武光ら4万人(宮方軍)と、大宰府を本拠地とする北朝(足利尊氏)方の少弐頼尚、大友氏時ら6万人(武家軍)、合わせて約10万の大軍が激突。たった1日の戦いで2万5000人余りもの死傷者が出たという、大変な激戦だった。この戦いに敗れた少弐率いる武家軍は大宰府に逃れ、その後10年ほどの間、九州は南朝の支配下となった。
小郡周辺には大原合戦に由来する地名・史跡も多く、菊池武光が血刀を川の水で洗ったという謂れが由来となった「大刀洗」や、天神大牟田線に残る「宮の陣」の駅名は、懐良親王が本陣を構えた場所である。
 
大原合戦図(小郡市教育委員会作成)
「漫画 大原合戦」より

菊池武光公筑後川奮戦図より
(菊池神社所蔵)
 
 
 
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