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| 九州大学箱崎キャンパス近くの箱崎商店街。その一角にある「きんしゃい通り」の空き店舗を利用して設けられたのが、子どもたちの遊び場「きんしゃいきゃんぱす」。思い思いに遊びながらも、学年を越えた交流が生まれている。 |
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文/湯浅玲子
写真/志賀智 |
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日本全国に、その地の文化を色濃く反映した伝統的な祭りがあります。青森地方の夏祭り「ねぶた(ねぷた)」もそのひとつ。この祭りには色鮮やかに光り輝くランタンが欠かせませんが、その青森でランタンづくりを学び、その後は活動の拠点を福岡に移したのが、三上真輝さんです。青森時代には明治期以来途絶えていた立佞武多(たちねぷた)の復元に関わったという三上さん。九州では地域に入り込んでワークショップなどの活動も展開しています。ランタンの魅力や活動の内容を伺いました。 |
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| ―プロフィール― 1953年、青森県五所川原市生まれ。96年、五所川原市役所に勤務するかたわら、明治期依頼途絶えていた高さ20メートルの立佞武多(たちねぷた)を復元。その後、ランタンアーティストとして独立し、2004年から福岡に移り住む。博多祗園山笠の飾り山を毎年手がけるなど、九州各地で活動を続けている。 |
| 地域の力で復元した立佞武多。その技術で新しいことに挑戦する。 | ||||||||||||||||||||||||
三上「青森では五所川原市役所の職員でした。五所川原の『ねぶた』は町内単位で祭りの山車を手づくりします。ですから専門のランタン作家がいるわけではなく、みんな仕事のかたわらやっています。私も20代の頃から見様見まねでつくっていましたが、ある時1枚の写真を見て衝撃を受けました。それは明治時代の古い『ねぶた』の写真だったのですが、高さ20mもあって、当時では考えられないぐらい大きかった。街中に電線が張りめぐらされたことで、大きな『ねぶた』は次第に消えていったのです。ぜひ本物が見てみたいという気持ちから立佞武多の復元に関わるようになりました」 ※以下「」内すべて三上氏 ―立佞武多は、96年に復元されたとか? 「はい、復元には費用も人手もかかります。最初で最後のチャンスと思い、約100日をかけて仕上げました。出来上がってみると予想以上の反響で、これをきっかけに地元の古い文化にスポットが当たるようになったんです。その後、立佞武多は五所川原の祭りとして大きく成長し、今では10台ほどの立佞武多が出て、多くの観光客が訪れる祭りになっています。この祭りのために街中の電線は地中化され、標識なども期間中は撤去されるようになりました。けれども私が何よりもうれしかったのは、地元の祭りにみんなが誇りを持ち、積極的に参加するようになったことです。祭りは参加することでさらに面白さが増します。立佞武多にも多くの子どもたちが参加するようになりました」 ―その後、福岡に拠点を移したのはなぜですか? 「立佞武多が地元に定着し、祭りを担う若手も育ってくると、ランタンづくりの技術を使っていろいろなものに挑戦したいと思うようになりました。そんなとき、福岡の商業施設から作品展示の声がかかったんです。実際に福岡を訪れてみるとアジアに近く、活気があって面白い街で、ここなら何かできるのではないかと感じました。よく誤解されるのですが、私は福岡で立佞武多を再現したいとは思っていません。あれは青森の文化なので、ぜひ本場で見てくださいと言っています。そうではなく、その技術を使って新しいことをやりたいと考えています」 ―博多祗園山笠の飾り山にも参加されていますね。 「お話をいただいたときはびっくりしました。700年以上もの歴史を持つ博多の祭りに私が参加していいものか。けれども博多祗園山笠はただ伝統を受け継ぐだけでなく、常に新しいものにもチャレンジしてきた祭りだと聞き、お引き受けしました。作業は博多人形師さんとのコラボレーションで、飾り山の一部をランタンでつくるのですが、毎年やりがいのある仕事になっています」 |
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