【第22回】
  1973(昭和48)年〜1982(昭和57)年


 ひのくに号登場と
 高速バスネットワークの展開

 今回は1970年代における高速バスネットワークの展開をご紹介します。
  戦後の中長距離バスは、60年代初めに北部九州各地を結ぶ特急バスネットワークが完成、「つるみ」「いでゆ」「ひびき」などのニックネームとともに、利用者から親しまれました。
  しかしながら車社会の進行にともなう道路渋滞の慢性化は、都心部だけでなく幹線国道にも拡大、特急バスの運行速度は低下しました。一方で九州の国鉄は準急網整備や快速増発など、旅客輸送の充実を図りました。特急バスはこれらの影響を大きく受け、ついに大分線などは路線撤退に追い込まれました。
  厳しい時代の中長距離バスに明るい兆しが訪れたのは、全国にわたる高速自動車国道網の建設でした。66年に九州縦貫自動車道の計画が具体化、73年には福岡県内に達して鳥栖IC〜熊本IC間が供用されました。
  この機会を捉え、西鉄は九州産業交通と、福岡と熊本両市の都心を2時間余で直結する高速特急バス「ひのくに」の運行を開始します。両社が共同で新しいバスサービスを作るという思想と諸制度は、後に高速バス共同運行のモデルとされました。
  九州自動車道は79年に八幡ICまで延伸、福岡県内縦貫が完成しました。当時は航空機利用者が増加の一途にあり、西鉄は本格的な高速バス拡大の手始めに、北九州市小倉から福岡空港連絡高速バスの運行を開始、予想を上回る好評を博しました。そして翌80年には、西鉄誕生時からの使命ともいえる福岡と北九州両百万都市を結ぶ都市間高速バスの運行を開始しました。
  その後数年間で空港高速は久留米、大牟田など新路線を次々に開設、都市間高速も佐賀、日田など一般国道からの載せ替えが進められ、特急バスネットワークは見事に復活を遂げました。
  次回は1973年以降の路面電車撤退についてご紹介します。

福岡-熊本間特急バス「ひのくに」は1973年11月に九州縦貫自動車道に経路変更、西鉄初の高速バスとなった。「青十字」の斬新なボディカラーをはじめ、乗車券発売や宣伝などで2社一体のバスサービスを実施した。 北九州市の都心部と福岡空港を直結する高速バスは、1979年7月に運行を開始した。鉄道利用に比べ速く快適なことから、新しいバス需要を喚起し、他都市からも路線開設が相次いだ。
車高が3m超で眺めがよく、床面がフラットで居住性にも優れるハイデッカー車両を、他社に先駆けて1981年11月から都市間高速バスに導入した。「廉価」だけでなく鉄道を上回るサービスを実施して、大きな評価を得た。 1982年4月からコンピューターによるオンライン座席管理システムを導入。福岡市内の3大バスセンター(天神、博多駅、福岡空港)では、これに接続した自動券売機を特に開発、円滑な座席管理に威力を発揮した。