【第20回】
1972(昭和47)年〜1989(平成元)年
市街地の都市開発事業
今回は都市中心部における土地利用の高度化、すなわち都市再開発の足跡をご紹介します。
天神大牟田線の前身九州鉄道は、1924年の開業に際し渡辺通りを挟んだ福岡駅東側に「九鉄マーケット」を開設しました。電車乗降客の利用を見込んだ商業施設、九鉄マーケットはその後道路拡幅などで廃止されますが、49年に昌栄土地(西鉄不動産の前身)が隣接地に「西鉄商店街」として復興、新天町と並ぶ商店街として親しまれました。時代が下り60年代、木造のうえ密集・老朽化した店舗の防災対策が問題化、隣接地権者と協議を重ねた末、協力して再開発することになり、76年に東京・大阪に本店を持つファッション専門店、書店、飲食店など97店を揃えた地上8階建の「天神コアビル」として華々しくオープンしました。
70年代以降、西鉄は市街地にある社有地の高度利用化を推進します。福岡市西部の西新には戦前から電車・バスの事業用地を保有していましたが、住居地域の郊外化(ドーナツ化現象)に呼応してバス営業所を郊外展開した結果、運輸事業用地としては利用効率が低下しました。この一角に72年に建設したのが、当時流行のボウリング場やレストランなどが入った「西新パレス」で、同地における再開発の先駆的存在として現在も人々に利用され続けています。
都心部のバス営業所の再開発としては、42年の西鉄成立時の博多営業所が86年に「西鉄祗園ビル」に、かつて長距離バスの起点であった博多発着所が89年に「西鉄博多駅前ビル」に生まれ変わるなどがあり、現在の不動産賃貸事業の一翼を担っています。
次回はローレル賞受賞車2000形の登場など、1970年代の大牟田線(当時)の輸送力増強、サービス向上の足跡についてご紹介します。
天神コアの名称は、九州・福岡の中心である天神の要に立地し、ファッション・カルチャーの情報提供の場など、地域社会の発展に貢献する商業ビルを目指す趣旨で名付けられた。
昌栄土地は、1949年に西鉄商店街(通称「西鉄街」)60店舗を開設した。戦後の喫茶店第1号の「風月」や、西鉄プラザの名称の由来である喫茶店「プラザ」も、ここに店舗を構えた。
かつて九州観光バス本社も置かれていた旧博多自動車営業所跡地に、1986年に地上12階建て、延床面積14,907uの「西鉄祗園ビル」を建設した。
写真右のビルは西鉄博多駅前ビル。
戦後、西新自動車営業所として使用していた場所に、鉄筋コンクリート3階建てでボウリング場を核に飲食店、サウナなどを備えた本格的な総合レジャービル「西新パレス」を1972年に建設した。