【第17回】
  1910(明治43)年〜1971(昭和46)年


 住宅事業の展開

 今回は明治時代に起源をもつ土地家屋経営の歴史と、1960年代以降の住宅事業の本格展開についてご紹介します。
  福岡市内線の前身である福博電気軌道は、開業早々の1910(明治43)年から、電車沿線の福岡市地行西町周辺で邸宅の賃貸・売買を行っていました。
  北九州線の前身である九州電気軌道は、港湾都市として発展する門司市や、製鉄所を核とする工業化で人口増加が著しい八幡市などの沿線で、関係会社と土地建物の賃貸・売買を開始。32年以降は全額出資の子会社、九州土地興業(後の西鉄地所)を設立してこれに集約、後に71年の会社合併により西鉄に承継されました。
  天神大牟田線の前身である九州鉄道は、阪急を範に創業時から春日原や大保、三沢各駅周辺での開発事業を計画。昭和不況で頓挫したものの、東邦電力と29年に設立した昌栄土地(後の西鉄不動産)に移管した春日原経営地は、54年以降に300戸余の見事な住宅地へと生まれ変わりました。
  西鉄誕生後しばらくの間、沿線の宅地開発は西鉄不動産と西鉄地所の両社が西鉄を代理する形で行っていました。しかしながら60年代に入り主力事業である北九州と福岡の路面電車の収益性が急激に悪化したことから、経営の安定化を図る為に、65年以降西鉄直営による宅地開発に乗り出しました。当初は既存社有地による小規模なものでしたが、68年から1100区画を超える南ヶ丘団地の販売を開始、その後も三苫団地や平野ハイツなど40万uを超える大型団地を相次いで造成、九州を代表するディベロッパーに成長しました。
  次回は高架化や新駅、バスセンター開設に併せた西鉄名店街を核とするターミナル開発についてご紹介します。



春日原駅西側一帯は1924(大正13)年の九州鉄道創業時から宅地開発計画があったが、不況で需要が見込めず、5,000人を収容し九州野球のメッカといわれた春日原球場や陸上競技場、テニスコートに転用された。左手前は電車変電所。(井上文雄氏提供/春日市史より転載) 1911(明治44)年の新聞広告に「地行貸邸宅」の文言が見える。電車開業に合せて「新式瀟洒なる」住宅を福岡市地行、次いで百道地区の白砂翠松の中に60戸を超えて建築し、賃貸・売買を行った。90年を経た現在では、
都会の中の閑静な住宅地となっている。
西鉄地所(九州土地興業の後身)は、小倉市(現北九州市)の海面埋立事業を行った会社であるが、宅地開発にも進出し、1970年には直方市感田で福智台団地153区画を竣工。翌年の合併後は西鉄が販売を承継した。 竣工当時の南ヶ丘団地。新規取得による初の大型開発で、竣工と同時にバス路線を開設して利便を図った。平野ハイツや月の浦ニュータウンを含め、大野城市では2700区画を超える住宅供給を行っている。