【第16回】
  1958(昭和33)年〜1969(昭和44)年


 特急バス網の充実と
 観光バス事業の展開

 1950年代後半から高度経済成長により企業活動が活発化、また大衆消費社会の到来でレジャーブームも興りました。1958(昭和33)年の関門国道トンネル開通や幹線国道などの道路事情改善とも相まって、西鉄バスは近距離輸送だけでなく、鉄道に対抗する中長距離輸送にも積極的に進出してゆきます。
 本来の営業エリア内においては福岡から門司・田川・佐賀・中津・日田などに59年以降相次いで都市間特急バスの運行を開始、また福岡県外のバス事業者との提携(共同運行や合弁会社設立)により、58〜66年に福岡・八幡から山口・九重・熊本・別府・佐世保・長崎などへの特急バス路線を開設しました。北部九州一円に拡がるネットワークの確立は、後年の高速バス事業の礎となりました。
 これら特急バスのスピードと快適性を鉄道に劣らないものにするため、59年の冷暖房実用化をはじめ、62年には大出力エンジンを搭載し、エアサスペンション、リクライニングシートなどを採用した大型デラックス車両を西日本車体工業で開発し、好評を博しました。
 貸切・観光バス部門においても、57年の雲仙・阿蘇・霧島でのスカイライン開通など観光地の道路整備が進み、全国を対象にした大型旅行が可能になりました。西鉄では69年の「日本一周の旅」を筆頭に企画商品の開発や積極的な営業活動を展開する一方、良質な貸切バス供給を維持するため、地元財界の協力を得て福岡市と小倉市に貸切バス専業会社を設立しました。  また特急バス同様の大型デラックス車両も導入、小グループ向けには19人乗りや24人乗りの小型バスも登場させ、多様化するニーズに対応しました。  次回は南ヶ丘団地の造成など、1960年代における住宅事業の展開についてご紹介します。



62年に運行を開始した「つるみ号」(別府行き)、「ひびき号」(八幡行き)では、広いシートピッチ、エアサスペンション、冷暖房、眺望の良いメトロ窓、床下荷物室など当時としては画期的装備の車両を投入した。 長距離旅行に適した、特急バスと同一装備のデラックス車両より、64年には東京オリンピックへの会員バスを運行。69年には22泊23日、全行程6,300kmというわが国初の試み、「日本一周の旅」を企画、成功させた。
1958年に小倉市に北九州観光バス(株)、翌59年には福岡市に九州観光バス(株)を設立し、路線バス兼業とは異なるきめ細かいサービスと小回りの効いた営業活動を展開し、良質な貸切・観光バスの供給に努めた。 旅行形態の多様化、企業の部・課単位の慰安旅行、家族・グループなど小人数の旅行ニーズが増加したので、1960年から19人乗りライトバスを62年からは24人乗りマイクロバスを配備してこれに応えた。