【第15回】

  昭和36(1961)年〜昭和37(1962)年


 福岡ビル建設と埋立事業

  今回は福岡ビル建設と小倉での埋立事業についてご紹介します。
  福岡市下名島町(現福岡銀行本店敷地)に戦後バラック建築で生まれ、1955(昭和30)年に大火に見舞われた天神町(てんじんのちょう)市場に、事務所やホテル等を備えた高層ビルを建設しようと、西鉄や商工会議所など福博財界が発起人となり、56年に福岡ビル株式会社が設立されました。
この計画は、天神町交差点周辺を賑やかな街にしたいとの地元関係者の要望を受け、福岡(現福岡中央)郵便局と福岡銀行との三者所有地交換により現在地に変更、地上10階地下3階、延床面積4万2456u、総工費25億円という当時西日本最大級のビル建設となりました。
  一方、西鉄は、福岡バスセンター開設にあたり周辺にバスプールが必要となり、大名町の本社も手狭になっていました。折からの不況でテナント確保に苦戦していたことから、この福岡ビルに本社を移転し、跡地に中長距離バス待機場と、併せて自社や関係会社の事務所も収容することとなりました。
  福岡ビルは61年12月に竣工、外壁のアルミニウムカーテンウォールの輝きとともに、前月完成の福岡新駅と並んで天神地区発展の牽引役となりました。
  当時の不動産事業のもう一つの画期的事業に、小倉市日明地先の埋立事業があります。
  前身の九州電気軌道時代に開始した海面埋立事業は、32年設立の関係会社九州土地興業の手で42年に東港町(15万坪)が竣功、戦後も62年に西港町(30万坪)が竣功し、多くの工場・事業所を誘致して地域経済の発展に寄与しました。同社は同年1月に小倉市中心部に九興ビル(現魚町ビル)も建設し、翌年には前述の福岡ビルを合併して西鉄地所と改称した後、71年に至り西鉄に合併されました。
  次回は60年代の特急バス網の充実と観光バス事業等の展開についてご紹介します。



福岡ビル屋上は当初ヘリポートとなっており、実際に発着も試行されたが、諸般の事情から見合わされ、福岡有数のビアガーデンに転用された。 1958年着工以来3年余をかけて完成した福岡ビルディング。63年には西日本随一といわれた結婚式場も開設された。
1962年に竣功した西港町の埋立地には、日本化薬や大阪曹達の工場などが建設され、北九州経済の活性化に寄与した。 1950年に建てられた大名町の旧本社(現西鉄グランドホテルの場所)。65年まで万町営業区、福岡診療所、筑豊電気鉄道本社などに使用された。