【第13回】

  昭和31(1956)年〜昭和34(1959)年


 特急運転開始と筑豊電鉄開業

  今回は1950年代後半の鉄道事業にエポックを画した、二つの出来事をご紹介します。
  天神大牟田線は福岡・久留米・大牟田の県南部主要都市を結ぶ、関西以西唯一の都市間高速電車として1939年に全通しました。当時はロマンスシートの専用車両に若い女性ガイドが乗務した急行が運転され、41年には福岡〜大牟田間を75分で走破しました。
  しかしながら終戦直後は、電力事情により所要時間が最大で100分までかかり、またスピードよりも増発と車両増結に力が注がれたため、創業時の木造車4両編成が使用されたりもしました。
  高度経済成長が到来した1950年代後半、並行する国鉄鹿児島本線が電化計画とともに旅客輸送の強化をはかるようになり、対抗上スピードアップ、快適性の向上が課題となりました。その対策として57年より、全金属製車体や小型高速モーターなど新機軸を盛込んだ高性能車両を続々と投入。59年からは最速列車で戦前水準の75分運転を復活し、急行と称していた名称も特急と変更しました。
  さて戦時中の5社合併により誕生した西鉄は、交通体系の整備充実がその目的とされ、石炭産業の隆盛する筑豊地域と福岡、八幡両市を結ぶ電鉄計画は、その一つに掲げられていました。
  この計画は戦後ただちに実行に移され、50年には黒崎から直方、飯塚を経て博多へ至る鉄道の敷設免許が下り、筑豊電気鉄道を設立しました。第1期営業区間として先ず貞元(現在の熊西)〜中間間が56年に開業、59年には直方まで延伸され、西鉄北九州線の車両が乗入れて戸畑、小倉、門司まで直通し、地域を支える交通の動脈となり、現在に至っています。
  次回は1961年の福岡駅高架化、バスセンターと西鉄名店街の開業についてご紹介します。



コバルトブルーにイエロー帯の艶やかないでたちの特急列車。国鉄の電化に対抗し、また新福岡駅完成を祝うかのように、1961年に特急用車両(1000・1300形)は、車体塗装が変更された。
〈1968年/筑後川橋梁〉
筑紫路を走る特急列車。運転開始時の特急用車両(1000形)は、翼を拡げた特製ヘッドマークを新たに掲げ、車体塗装は一般車と同じマルーンとクリームイエローのツートンカラーであった。
〈1959年/端間〜味坂間〉
直方まで延伸した筑豊電鉄の開通祝賀電車。日章旗と社旗を掲げ、370mの遠賀川橋梁をわたる開通記念の貸切祝賀電車1005号連接車。
〈1959年9月18日〉
中間まで開業した筑豊電鉄の開通祝賀電車。モールで装飾した祝賀電車1011号連接車の、西鉄北九州線黒崎車庫前電停での発車セレモニーの模様。
〈1956年3月5日/筑豊電気鉄道提供〉