【第12回】

  昭和30(1955)年〜昭和34(1959)年


 レジャー事業の拡大

  今回は高度経済成長にともなうレジャーの大衆化に応えて、娯楽施設の建設や文化事業の誘致に努めた西鉄グループの足跡をご紹介します。
  1955年、福岡市天神に1万人の観客を収容できる福岡スポーツセンターを竣工しました。国際試合も可能な九州初のインドアのアイススケートリンクとしてオープンし、大相撲九州本場所、アメリカン・ホリディ・オン・アイスショー、アサヒビールコンサートや法隆寺国宝仏像展などのイベントを次々と誘致。翌年には映画館「センターシネマ」を併設し、30年以上にわたって九州におけるスポーツ、文化の殿堂として大きな役割を果たしました。
  56年には小郡町(当時)に三沢ピクニックセンター、57年には福岡市の筥崎宮北方外苑に福岡水族館、59年には筑後市に船小屋温泉センター(当時)をオープンし、多くの人々に喜ばれました。
  また、戦時中は食料生産のため農場に転用されていた小倉市(当時)の到津遊園を、開園25周年記念事業として拡充。児童センターが竣工した57年春には「世界の子ども博」を72日間開催し、有料入場者32万人を記録するなど、北九州地域の人々に親しまれました。
  福岡市周辺では、戦前に人気の高かった香椎の「チューリップ園」を再整備し、「西鉄香椎花園」として56年から開園、60年には大温室も完成して、植物園としての充実ぶりが好評を博しました。
  57年には太宰府天満宮と協同して同神苑内にだざいふえん(現だざいふ遊園地)を開園、天満宮参拝の家族連れや学校の遠足に大いに利用され、今日に至っています。
  次回は大牟田線特急運転開始と筑鉄開業についてご紹介します。

福岡スポーツセンターは、体育の普及並びにスポーツ文化の昂揚を目的とし、旧大村海軍航空隊の飛行機格納庫を利用した建物は、建坪2400坪の鉄筋コンクリート3階建てで、当時東洋一の屋内運動競技場と称された。



1946年に再開した到津遊園は、52年から5カ年計画で拡張してわが国有数の動物園となり、60年には国から博物館相当施設の認定を受けた。 香椎花園も1960年に国から博物館相当施設の認定を受け、年間を通じて楽しめる花と緑のレクリエーションゾーンとして、現在も福岡市周辺の人々に親しまれている。