【第11回】

  昭和26(1951)年〜昭和29(1954)年


 連接車登場と
 鉄道の改良・輸送力増強

 今回は1950年代前半の鉄軌道の近代化や輸送力増強の足跡をご紹介します。
  戦後復興とその後の経済発展に伴い、都市内輸送を担う軌道線の輸送人員が増加、北九州や福岡の都心部ではダイヤが輻輳して増発が困難になり、打開策として53年に2車体を繋いで単位収容力を増加(80人→130人)した連接車(当初は関節車と称した)が登場しました。
  西鉄の連接車は北九州の新設軌道区間(大門〜三六、黒崎駅前〜折尾)を60
km/hと鉄道並みの高速運転をするため、現代のLRTにも通じる当時の最新技術を導入。67年までの15年間に112編成231両が増備され、最大時1日70万人に利用された軌道線のエースとして活躍しました。
  またこの連接車で新たに採用されたマルーンとクリームイエローの車体塗色は、鉄道線にも波及して当時の西鉄電車の標準色となりました。
  鉄道線に眼を転じると、宮地岳線は本来福岡市から鞍手郡を経由して飯塚市を結ぶ鉄道として計画されたものですが、51年の筑豊電気鉄道設立でその目的が消滅したため、地元の要請に応える形で、かつては「九州の鎌倉」と称された津屋崎町まで延伸しました。また福岡市からの要請にも呼応して、54年に運転上の起点を西鉄博多(→新博多、現在の千代自動車営業所)から西鉄多々良(→競輪場前、現在の貝塚駅)へ変更、この区間は複線化して福岡市内線の電車が都心部から直通するようになりました。
なお大牟田線もこの時期スピードアップと増発が行なわれ、54年には福岡〜大牟田の主系統急行(後の特急)が所要82分、戦前の水準を凌駕する60分間隔運転が開始されました。
  次回は1950年代のレジャー事業拡大についてご紹介します。

福岡市内線関節車入線記念パレード。当時は関節車が就役した時には、車体にモールを巻いて、記念パレードを行なっていた。写真は福岡第2次車両の記念パレード。1957年/貫通線西新町

宮地岳線津屋崎延長祝賀電車。宮地嶽神社南側にあった宮地嶽駅を、参道の延長上(西側)に移すとともに、線路を津屋崎まで延伸した。1951年7月1日/津屋崎 大牟田線600形電車。急行のスピードアップと増発に合せて、大牟田線の電車も栗色一色から軌道線関節車と同じツートンカラーへ塗り替えられた。地上駅時代の福岡駅を出発する、大牟田行き急行。1954年頃/西鉄福岡〜薬院(小田部秀彦氏撮影)