【第10回】

  昭和23(1948)年〜昭和47(1972)年


 西鉄ライオンズと西鉄のスポーツ選手

今回は球史に輝く足跡を残す「西鉄ライオンズ」球団と、海外でも活躍したスポーツ選手についてご紹介します。
  1948(昭和23)年、西鉄野球部が都市対抗野球全国大会に初出場で日本一の快挙を達成、福岡県民に感動を与えました。この実績も踏まえ、戦時中に一時保有した球団経営に再度乗り出し、翌年「西鉄クリッパーズ」としてパ・リーグに加盟。51年にはセ・リーグの「西日本パイレーツ」と合併し、公募の新名称とともにプロ野球「西鉄ライオンズ」が誕生しました。名将三原監督の下、青バット大下を筆頭に中西、豊田、稲尾、仰木など個性派選手でファンを魅了、平和台野球場は多数の観客で賑わいました。
  1954(昭和29)年のリーグ初制覇の後、56年から読売巨人軍を相手に初の日本選手権3連覇を達成、中でも58年は3連敗後の4連勝という奇跡の大逆転での日本一となりました。その後63年にもリーグ優勝をしましたが、黒い霧事件を境に成績は低迷、運輸部門の経営業績悪化もあり、72年に球団経営から撤退しました。

都市対抗野球大会での優勝で黒獅子旗を先頭に場内を一周する西鉄チーム(1948年/毎日新聞社提供) プロ野球日本一の西鉄ライオンズ。東中洲界隈での優勝パレード風景(1957年)

またアマチュアスポーツ界でも社員が活躍。テニスでは1949(昭和24)年から隈丸次郎が全日本選手権4連覇を達成してデビスカップに選手・監督で出場。剣道では54年の第2回全国選手権で初出場の小西雄一郎が日本一に。相撲では60年の全日本アマチュア相撲選手権などで優勝した江熊仁、マラソンでは66年のボストンなどで活躍した岡部宏和がおり、その伝統は現在の駅伝部にも受継がれています。
  次回は連接車登場や宮地岳線の延長など、1950年代前半における鉄軌道の輸送力増強についてご紹介します。
 
第70回ボストンマラソンに参加した日本選手団。写真左から君原健二、佐々木精一郎、岡部宏和、寺沢徹各氏(1966年/毎日新聞社提供) (右)全日本庭球選手権大会に優勝し、天皇杯を手にした隈丸次郎氏(1950年)
(左)第2回全国剣道選手権で初出場。小兵ながら大男をなぎ倒し、日本一となった小西雄一郎氏(1954年)

[訂正・お詫び]
にしてつニュース1月号の紙面では「赤バット大下」と誤りがありました。訂正して、お詫びいたします。