【第9回】

  昭和23(1948)年〜昭和33(1958)年


 長距離バスと貸切バスの躍進

今回は、戦後の経済復興とともに躍進を重ねたバス事業についてご紹介します。
  昭和20年代後半、わが国の経済は悪性インフレと不況を脱し、石油やタイヤなどの配給・価格統制も解除され、大型ディーゼル車の開発とも相まって、バス事業は旅客輸送の主役に躍り出るようになります。
  西鉄も1948(昭和23)年5月の田川行きを皮切りに、博多から小倉経由中津、日田、佐賀、山鹿行きといったエリア内の急行バスを次々に開設。1950(昭和25)年秋には相手地に営業エリアを有するバス会社との共同運行により、熊本・日奈久、大分、武雄、杖立、佐世保への県外を結ぶ長距離バスの運行を開始しました。相手会社を尊重し、お互いの営業力を合せる運行形態は後年の大阪、東京への夜行高速バスに至るまで踏襲され、高速バス王国の礎を築きました。
博多発着所(旧博多駅前、現在の西鉄博多駅前ビル付近)で発車待ちの日田行き急行バス。発着所の屋根には佐世保など長距離バスの行先が表示されている。〈1952年頃〉

  貸切バスも同年3月から営業を開始。世相安定による行楽需要の増大に加え、旅程の決定に主体性が保てることから、慰安旅行や遠足などで爆発的な人気を博し、1952(昭和27)年にはバス40台で1600人を輸送するという当時としては空前の団体輸送を完遂しました。
  また単なる移動を楽しい旅行へ変えるサービスとして、急行バスで沿線の名所・史跡案内を実施、やがて厳選採用した観光バスガイドを1951(昭和26)年10月から福岡市内観光バスに乗車させ、好評を博しました。
  車両面では1954(昭和29)年に、わが国で初めてセミダブルデッカーを導入、1958(昭和33)年にはわが国初の冷暖房、キッチンなどを装備したデラックスバスを製作するなど改良を進め、日本一を目指した事業展開を続けました。
  次回はリーグ優勝5回、日本シリーズ3連覇と球史に輝く偉業を残した、西鉄ライオンズ球団を中心に、スポーツや文化活動での足跡をご紹介します。

 
実技を含む厳しい採用試験を経て誕生し、真新しい制服に身を包んだ創生期のバスガイド。1953年の全国観光バスガイド案内コンクールでは、3位入賞を果たした。<1951年頃>

車体後半部床面を60cm高くして眺望を良くし、その床下には荷物室を設け、全国に先駆けて導入したセミダブルデッカー(シャーシは日野BD-11)。1954年に登場し、貸切バスに使用された。
↑1958年に登場した、冷暖房、リクライニングシート、キッチン装備のエアサスペンション付20人乗り(乗務員2名を含む)デラックスバス(シャーシはいすずBA-341)。定期観光バスに使用された。