【第8回】

  昭和23(1948)年〜昭和25(1950)年


 新しい事業への進出

 西鉄は太平洋戦争下で福岡県内の鉄道・軌道会社5社と多くのバス事業者が統合して誕生しました。当初は県下主要部の地域交通をもっぱら担う形でスタートを切りましたが、終戦後は統合で強化された企業体力により経済復興を支えるべく、新しい事業に積極的に進出してゆきました。
  日本とアメリカ合衆国とを結ぶ航空路開設にともない、1948年にGHQ(連合国軍総司令部)の推薦により、いち早くパンアメリカン航空の代理店となり、福岡市内(岩田屋デパート内)に最初の営業所を開設、やがて東京や大阪をはじめ全国に営業拠点を拡大しました。航空貨物部門は後に全世界に事業所や現地法人を展開し、わが国有数の総合物流事業者となって現在では西鉄を支える主力部門に成長、また旅客部門は1952年ヘルシンキオリンピックの日本選手団を皮切りに多数のスポーツ団体を取扱い、スポーツに強い総合旅行業者、西鉄旅行へと変身を遂げました。
↑日本自動車航送のカーフェリー
1950年8月1日、営業開始。3隻の航送船で、下関市西細江町と門司市小森江を25分で結び、1時間毎に運航した。
  なお1951年の日本航空誕生の折には、当時の航空旅客取扱い実績を買われ、福岡支所開設に合せて人材供給や施設・営業面での支援協力を行いました。
  一方、戦後の自動車交通増大に応えるため日本自動車航送を設立し、1950年にわが国カーフェリーの草分けとなる本州(下関市)と九州(門司市)とを結ぶ航路を開設しました。この会社は1958年の関門国道トンネル開通後は航送船の運航こそ中止しましたが、物流事業を営む企業姿勢は継続し、いくつものトラック事業者統合を推進して、後に関東(千葉県)から九州(長崎県)までの長大路線を有した西鉄運輸を誕生させるバックボーンの役割を果たしました。
  次回は北部九州主要都市を結ぶ長距離バスや、九州の観光を牽引する役割を果たした貸切バス(西鉄観光バス)の、運行開始前後の状況をご紹介します。

開設当初の福岡航空営業所カウンター
1948年12月20日に岩田屋(旧本館1階)にオープン
初日の荷物は、ロサンジェルスに送った久留米つつじ11本と椿2本の苗木見本であった。
日本航空福岡支所開設直後(1952年正月)の光景
前年10月25日に東京・大阪行きが初フライト。4名の西鉄社員が日本航空へ移籍。また、市内〜空港間の利用者送迎バスも西鉄が運行した。