【第7回】

  昭和21(1946)年〜昭和26(1951)年


 戦後復興の息吹

  今回は福岡県下の鉄軌道5社、バス48事業者統合の真価を発揮したともいえる、終戦後の復興についてご紹介します。
  戦争中からの酷使と資材欠乏で鉄軌道、バスともに車両や設備が荒廃、一方では想像を絶する混雑が慢性化して輸送力増強が叫ばれ、これに対処して改造名義などあらゆる方策を講じて、積極的な新造車導入を行いました。
  軌道部門では1946年から5年間で福岡43両、北九州14両を投入、他線区も含め全社的な車両配転を実施し、合併時は4輪単車ばかり160両の福岡市内線が、1954年には北九州線並みに全車ボギー車化されるなど、驚異的な体質改善を図りました。
  鉄道部門でも大牟田線に同時期に22両を投入し、3両編成化を進めたほか、1948年には久留米から甘木線への直通運転を開始しました。
バス部門では、旧日本軍のトラックや占領軍の水陸両用車の払下げを受け、改造して使用したのを皮切りに、従来の3倍以上の77人が乗れるトレーラーバスを博多〜飯塚・甘木などの幹線に導入、燃料事情への柔軟性がある電気バスを福岡と久留米地区に導入したほか、1948年以降毎年160両以上の新造を行い、休止路線再開など、輸送復興に当たりました。
   ↑福岡市内電車500型578号
     1948年から51年にかけ78両と大量投入された
     500型は、福岡市内線の4輪単車を全廃し、
     輸送力増強と乗り心地改善を達成した。
    一方、敗戦後の暗い世相に潤いを提供するため、九州電気軌道が開設した到津遊園を1946年に早くも再開、博多湾鉄道汽船系の香椎チューリップ園についても、遊園地化の整備を開始しました。1947年の新憲法施行祝典で登場した福岡市内線の花電車は、以後5月の博多どんたくには欠かせない名物となり、電車廃止後は花自動車として現在まで受け継がれています。
  次回は現在の西鉄における主力事業の一つである航空貨物事業など、戦後の新規事業進出についてご紹介します。

   ↑1949年の花電車「福岡復興」
     1947年から運行を始めた福岡市内線の花電車
     は、福博の街に潤いを提供し、やがて毎年5月
     の博多どんたくに無くてはならないものとなった。
   ↑トレーラーバス日野T?13型
     1947年に登場した77人乗りトレ-ラ-バスは
     博多〜飯塚・甘木、久留米〜吉井などの
     幹線の輸送に大活躍した。