国際交流にも役立つ徐福の存在。今後は学問的な歴史の解明を。
 
徐福が種子を持ってきたといわれる新北神社のビャクシン(推定樹齢1600年)。赤栴檀という中国原産の白檀に似た香木。
―村岡さんはどういうきっかけで徐福に興味を?

「佐賀平野の北方、脊振山系のふもとでは昔からたくさんの出土品が出るんです。それも前漢・後漢時代の古いものばかり。これが不思議でならなかった。それなのに新聞では小さく片隅にしか取り上げられませんでした。また、金立神社の古い碑に徐福のことが書いてあるのを読んで、あながちウソではないのでは、と思っていました。たまたま村岡屋で新しいお菓子を発売したとき、何か福の字がつく名前をと考え、佐賀に由来の深い徐福の名前から『徐福餅』と名づけたんです。そうしたことが重なって次第に徐福に興味を持つようになりました」

―徐福研究の魅力とは何でしょうか?


「やはり古代のロマンを感じられること。そして、それぞれが自由に自分なりの徐福像をイメージできることですね。日本では伝説上の人物と言われ、詳しいことはあまり分かっていません。ですから研究者は想像をふくらませることができるんです。さらに徐福伝説には日本人のルーツがあるのではないかと考えています。金立神社の総代や氏子など自分が徐福の子孫だと考えている人もいます。弥生時代のクニの形態を伝える吉野ヶ里遺跡にも、徐福が伝えた文化や技術と伺える物が数多く出土しています。海を渡って来た徐福一行が今の日本という国の基礎を築いたのかもしれません」

―今後の徐福研究ではどんなことを期待しますか?


「中国では2000年前のこと、それ以上昔のことでも学問的にきちんと解明されて歴史として認められています。日本ではたった2000年前のことでも定かではない。徐福のこともぜひ学問的な研究を進めて歴史的に正しいことを解明してほしいですね。また徐福研究は国際交流にとてもいい切り口なんです。中国では徐福のことを日本との友好の最初の使者『最早の使者』と呼び、日中外交の柱のひとつに位置づけています。政治や経済と無関係な徐福をテーマにすれば摩擦も起こりません。中国だけでなく韓国や台湾にも徐福伝説は残り、熱心な研究者がいます。これら東シナ海の国々、さらには全世界と徐福で交流していくことができます。私たち日本にとっても国際的な視野を広げてくれるまたとないテーマです」

―村岡さんはこれからも徐福について研究を?
「佐賀における徐福さんは偉人というより生活に密着した氏神様のような存在です。金立神社には清水が湧き出る岩があるのですが、この神水は戦時中に武運を祈って出征兵士に届けられたと言います。佐賀で発展した農業や織物も、もしかすると徐福が中国から伝えたものかもしれません。日本が中国の文化をいただいて発展したことの感謝を忘れず、これからも徐福について学びたいと思います」
 
  八女に伝わる徐福伝説

赤崎敏男氏と徐福像。童男童女の像が脇に立っている徐福像はここだけ。
全国各地に数多く残る徐福伝説だが、福岡県八女市にも徐福にまつわる「童男山ふすべ」という物語が語り継がれている。この物語では…始皇帝の命を受け出航した徐福は、旅の途中で嵐に遭遇し、船団は難破。蓬莱の国の浜に打ち上げられた徐福は、村人たちに見つけられ、枯れ枝や落ち葉を集めて起こした焚き火で体を温められたが、その甲斐も空しく、村人たちの優しさに感謝しながら息を引き取り、その墓が八女市山内の童男山古墳であるという物語となっている。実は、この話は昭和20年代に、八女市の川崎小学校で卒業生を送る会の紙芝居用に、八女に伝わる徐福伝説を元に作られた物語。今でも毎年1月20日、童男山古墳の前で、徐福と童男山ふすべの由来を物語にした紙芝居が上演される。八女市で数多くの古墳の発掘・調査を行っている赤崎敏男氏によると、1600年代の文献には、童男童女の岩に関する記述や、童男山古墳に残る石棺を、徐福が乗ってきた船の化石だと信じている村人の話など、徐福にまつわる伝説が実際に存在していたことがわかったという。しかし、なぜ徐福伝説が、この地方に発生したのか?謎は尽きない。中国でも、日本の小学生が「童男山ふすべ」という物語を作って、語り継いでいることを知り、八女との交流も深くなってきている。2000年の時を経て、徐福は再び、中国と日本の国交に大きく貢献してくれるのかもしれない。
 
 
インタビューを終えて
「どうぞ食べてください」と村岡さんが店頭で出してくれたのは「徐福餅」。村岡屋では「徐福さん」という船の形をイメージしたお菓子も発売しています。ほかにも佐賀の風物や歴史をテーマにしたお菓子が多数あり、地元を大切にしている姿勢が伝わってきます。
 
 
2/2
←BACK