【第4回】

  昭和17(1942)年 9月22日


 西日本鉄道の誕生

 今回はいよいよ5社合併、西日本鉄道誕生の過程についてご紹介します。
 1930年代初頭の世界的不況の中、地域交通の比較的小規模な鉄軌道に競合して新興の乗合バスが参入し、過当競争の結果、事故の増加や経営破綻、ついには新線開設や鉄道国有化に絡む汚職事件(5私鉄疑獄)発覚など大きな社会問題が発生しました。
 この状況に対応して陸上交通事業調整法が施行、交通事業者の整理統合が促進され、大牟田電気軌道(廃止された大牟田市内線の前身)が九州鉄道へ、小倉電気軌道(廃止された北方線の前身)が九州電気軌道(以下「九軌」)へ合併されました。
 1937年に日中戦争が勃発、戦争遂行を目的にわが国は強い統制経済下に置かれ、電力国家管理法に基づく電気事業統合により、九軌は発送電設備を日本発送電に現物出資、配電事業も九州水力電気へ譲渡、また福博電気軌道の後身である東邦電力も系列下の九州鉄道と福博電車の持株を九軌に譲渡し、九軌とその系列会社は一躍大電鉄企業となりました。
 太平洋戦争開戦により政府は地域交通一元化を強力に推進、福岡県では博多湾鉄道汽船と筑前参宮鉄道の同一資本系列2社が九軌系列3社と合同することになり、1942年9月に九軌が他の4社を吸収合併して商号を変更、陸上交通事業調整法による1県1会社の模範として、西日本鉄道が誕生したのです。
 なお社名は、前身各社の「九州…」よりも一回り大きな営業地盤を築こうという意を込めて名付けられ、後に「西日本…」や「中日本…」と名乗る企業が多く生まれた中での嚆矢(こうし)でした。
 次回は、日本最大となるバス事業統合の経緯についてご紹介します。

↑九州電気軌道本社(1939年まで)
小倉市京町358
(現北九州市小倉北区米町2丁目)
↑福博電車本社
(5社合併後、1944年まで西日本鉄道本社)
福岡市西新町209-2(現福岡市早良区西新3丁目)
   
↑九州鉄道本社(東邦電力ビル)
福岡市天神町58
(現福岡市中央区天神2丁目)
↑博多湾鉄道汽船本社
粕屋郡香椎村浜男682-1
(現福岡市東区香椎駅前2丁目)