![]() |
||||||
| 豊かな自然が息づく水俣市の山里で、無農薬の茶栽培を志した若者がいた。 時代の逆風をものともせずに走り続けた。 自分が生まれたふるさとを見つめ、そこに生きることの意味を追い求めてきた。 やがて、人と自然に学びながら成長し、広大な野山を舞台にしながら、人と暮らしを楽しむ技を磨いている。 |
||||||
| 「高地」「在来種」「水俣茶」という逆風に立ち向かう。 | ||||||
水俣市東部の山寄り、海抜500mの高地にある石飛地区。ここで無農薬無化学肥料で茶の栽培に取り組み、「天野茶園」を営むのが天野茂さん(50)。水俣市と聞くと海を連想するが、実は山地が75%を占め、ミカンと玉葱、そして水俣茶が名産品である。この石飛地区は昭和の初めに開かれた開拓集落であり、戦後、天野さんの父親の世代が、荒れていた茶畑を再び開墾したのだそうだ。 高校卒業後、悩んだ末に家業の茶の栽培を継いだ天野さんだが、当時、すでに水俣病が社会問題となり、ふもとの街は大きく揺れていた。その影響で「水俣」の地名のついた飲食品は消費者に敬遠された。名産品の水俣茶も、しかたなく銘柄を伏せ、他の産地の茶に混ぜられて売られていった。 当時も今も茶の品種は、甘さを引き出したヤブキタ種が全盛である。ところが天野さんの茶畑は、やや苦味と渋味のある、なじみの薄い在来種。「品種モノに植え替えるなら、県から補助金が出る」と聞いたが、茶摘みができるまでに4 4〜5年はかかる。その間、収入はゼロになるから、とても踏み切れない。 さらに高地にある石飛では、温暖な低地に比べて、どうしても茶の芽の育ちが遅くなる。八十八夜を過ぎて、人気薄の在来種を市場に出しても、安い値しかつかない。 つまり育ちの遅い「高地」で栽培したなじみの薄い「在来種」の「水俣茶」という三重苦。このままでは、とても安定した生活は見込めない。そこで付加価値をつけるため、思い切って無農薬有機栽培に挑戦することを決意したという。それが今から22年前。天野さんが28歳のときのことだった。 |
||||||
| 水俣だからこそ、安心・安全なものを作るんだ。 | ||||||
その後も売れない時代が続いた。何とか自分で売らなければと、市内を行商して歩いた。農園の前に小さな直売所を手作りで建てた。すべてが手探りでのチャレンジだった。こうした努力を続けるなかで、少しずつ知り合いが広がっていき、ふるさとが抱える問題を身近に感じられるようになっていった。「この土地からは逃げられん。ここで生活せないけんなら、水俣の経験を活かして、安心・安全な水俣茶を作ることが大事だ、ということに気付いた。ようやく、自分のやってることに、自信が持てた」と天野さんは振り返る。 無農薬有機栽培のやり方も、同じように手探りだった。虫除けや病気の予防をいろいろ試すうち、生命の循環に気付き、自然を活かした農法に落ち着いた。土づくりが大切と考え、菜種油粕や魚粕、発酵堆肥や刈り取った草などを肥料に入れた。しばらく続けていると、見えてきたことがあった。それは無農薬栽培は、高地で在来種を育てるのに適していること。高地は寒冷で虫の発生が比較的遅いため、一番茶はその害を免れることができる。しかも在来種、なかでも野生の実が落ちて根付いた実生の木は強く、病気への抵抗力があるということ。 問題は虫が発生した後の二番茶だった。茶葉は虫に吸われると、色が赤くなってしまう。この解決策として、天野さんが目を付けたのは紅茶だった。静岡まで紅茶の製造機械を見学に行き、鹿児島の茶業試験場を訪ねて製造のコツを習った。さまざまな調査と試行を重ねて12年前、天野さんは独自の発酵方法を考案。その後、人気商品に成長する「天の紅茶」を生み出したのだ。 |
||||||
| 「天の茶屋」の囲炉裏端が、石飛集落の作戦本部らしい。 | ||||||
環境問題への関心が高まるとともに無農薬栽培が見直され、天野さんの茶も生協や通信販売などで、次第に販路が広がっていった。さらにヤブキタ種全盛のなか、逆に在来種の稀少価値が注目されて追い風となった。天野さんは低地にも畑を広げて品種モノの栽培も手がけ、7年前からすべての茶畑を無農薬栽培に切り替えた。「紅茶ができるけん、無農薬でもぜんぜん恐くない。むしろ、いろいろな茶葉をどう加工するか。それを工夫するのが楽しくてね」と笑う。 環境問題の先進地・水俣市を見学に訪れる人が、近年、増えてきた。「こりゃ、石飛にも人寄りのできる場所がいるなあ」と、天野さんは5年前、茶畑の隣に「天の茶屋」を手作りで建てた。納屋のような風情と懐かしい囲炉裏が好評だとか。燃える火を囲み、近所の人や遠来の客がいっしょに話し込む。長男の浩さん(28)は「居ながらにして、いろんな人の話が聞けて刺激になる。ありがたいです」と囲炉裏の効用を語る。ちなみに年間にここを訪れる人が4〜500人というから驚く。話が盛り上がって深夜におよべば、みんなで雑魚寝。そんなおおらかな交流から、愉快なイベントのアイデアも生れてくる。間伐材で作った木車「だいごろ」で斜面を滑り降りる遊びは、いまや石飛の名物。タイヤチューブで水俣川を下る川下りは、子どもたちにも大人気のメニュー。新年、初日の出の参拝者に豚汁をふるまうもてなしを、集落のみんなで続けている。 「夏までは必死に働いて、それから暇を見つけて、みんなでわっと遊ぶ。そんな暮らしができるのも、豊かな自然がまわりにあるから」と、天野さんはいたずらっぽい目を輝かす。「実はね。まわりの野原にはえてる薬草を混ぜて、健康茶をつくろうと思っていて。今、それを研究中です」と微笑んだ。 あせらず、力まず、おおらかに。天野さんは石飛の自然と、昔からの暮らしの知恵に学びながら、野山をフィールドにして遊んでいるように見えた。 |
||||||
| 【取材協力】 ■「天野茶園」 熊本県水俣市石坂川石飛 (0966)69-0918 【参考文献】 「現代農業 増刊 日本的グリーンツーリズムのすすめ」(2000年11月)/(社)農山漁村文化協会 「九州のムラ 通巻第3号」(1999年) 養父信夫編/九州のムラ出版室 ◆参照ホームページ 水俣市 http://www.minamatacity.jp/ 水俣病センター「相思社」 http://www.fsinet.or.jp/~soshisha/ |
||||||