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| 鏝絵の町に生まれ育ち、新たな鏝絵づくりに挑む。 | ||||||
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| 闊達でユーモアに富む、先人たちの仕事。 | ||||||
安心院の鏝絵が注目されてきたのはこの十年くらいのことという。次第に注目が集まるにつれ、町は貴重な地域の財産として残存している鏝絵の把握調査をすすめ、およそ80カ所をリストアップ。そのうち見学可能なものを中心に、ガイドマップ、ガイドブックを作成し、案内看板などを整備するなど、PRと観光客への便の向上をはかってきた。とはいえ、ほとんどは個人の所有物。いずれも、もう百年を超える古い建物ばかりなので、建て替えなどの話もでてくる。やむを得ない建て替えの時は、鏝絵だけを切り取って別の公共施設に移すなどして、保存に努めている。安心院の鏝絵が注目されているのは、その数が多いためばかりでなく、その図柄が多彩かつユニークなものが多いせいでもある。 先述の鏝絵の祖・入江長八は、もともと絵師を志し狩野派にも学んだというだけあって、その作品は高い芸術性を備えている。その緻密さ、繊細な表現は日本画と見まごうばかりである。 これに対して、あくまでも左官職人の余技として全国に広まった鏝絵の多くは、おしなべて素朴なものが多い。中でもここ安心院に残る鏝絵には、自由奔放、力強くユーモラスなものが多いのである。 鏝絵に登場するモチーフは、七福神の神々や、魔除け・厄除けのシンボルとなる虎、龍、獅子、鷹、子孫繁栄を象徴するウサギ、縁起が良いとされる鶴亀などの動物たち、宝船や打出の小槌、富士山、扇、松竹梅など縁起物の数々と多種多様。 ただそれらを一枚の絵にまとめるというだけでなく、百年前の左官職人たちは、遊び心たっぷりの工夫やアレンジを随所に見せている。 例えば、壁の片隅に小さなこうもり傘が描いてある。これは傘が日除けになることからすなわち『火除け』、火災除けの祈願の意味となる。また、一点描かれた鏝絵の横に小さな手指が描かれ、その人差し指の示す方向を辿ると、大黒様の使いとされる小さなネズミが壁の隅にいる。そちら側の壁に回り込んでみると大黒様の絵が描かれている、といった具合だ。 これらの多くは、明治20年前後に集中して作られている。土地の文化として根付いたものというより、ある時期の建築のひとつのブームとして一気に広まったようだ。 |
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| 自分なりの安心院の鏝絵を求めて | ||||||
最近ふたたび鏝絵が注目されて、商店街ぐるみで「鏝絵通り」を作ろうという取り組みも生まれているという。そんな中、「新人」の江藤さんのもとにも知り合いなどを通じて『うちにも描いて欲しい』という依頼が届くようになった。「自動車屋さんが好きな車の写真を持ってきて、これを描いてくれ、とか」。依頼者の希望に耳を傾け、そこの家のイメージ、掛ける場所などを考えながら、悩んで構想を練る。本、写真、昔の水墨画…参考になりそうなものがあれば、何でも目を通す。「喜ばれるのがいちばんなので」と一生懸命だ。 江藤さんは古典的な図柄にはこだわらない。「七福神?人は苦手なんです」と笑う。だが、小さい頃から絵を描くのは好きだったという江藤さんが、特別な思いを寄せるモチーフがある。馬だ。 「小学校一年生の時、木材を運ぶ馬に乗せてもらった。その感覚が忘れられず、小さい頃からずっと馬を描いていた」。大人になった今も、馬好きはさらに高じて、阿蘇まで乗馬に出かけたり、アニマルセラピーのボランティアで月数回、馬とともにあちらこちらへ出かけている。そんな江藤さんの鏝絵に描かれた馬たちは、ひと際生き生きと、躍動感にあふれているように見える。 「昔は壁をちゃんと塗れない人は鏝絵も描けなかった。だから私はまだほんとなら鏝絵は描けないんでしょうけど」。 職人の技術をじっくり習うことも大切と思う。でも今は、自分自身で試行錯誤をし、いろいろなことを発見していきたい、と江藤さんは言う。「なるべく昔ながらの自然のものを使いたい」と、着色も黒は自分で墨を作り、茶色は土を使う。 「墨を使っているときに発見したんですが、薄墨にすると、淡い青が出る。古い鏝絵でウサギが淡い青で描かれていて、何を使っているのかな、と思ったんですが、色が似ている。これじゃないかな、と。そういう発見の楽しみがある」。 鏝絵発祥の地、伊豆の松崎町で、年に一回鏝絵コンクールが開催される。今年はぜひ出品してみたい、と江藤さん。「コンクールの作品は、大分の鏝絵とは全く違う。油絵のようであったり、色も鮮やかであったり。でも、私はここのスタイルで描きたい。自分なりの安心院の鏝絵が描けたらな、と思います」。 素朴で奔放な鏝絵たちに囲まれて育った江藤さんの手から、この先どのような平成の安心院鏝絵が生まれていくのだろうか。大いに楽しみである。 |