鏝絵作家  江藤智子(えとうさとこ)
 
近年ではワインの里として知られる
大分・安心院。
ここには百年を超えて残る
数多くの漆喰彫刻「鏝絵」がある。
左官職人たちが担い手となってきた
その鏝絵作りの世界に、
今、一人の女性が飛び込み、挑戦をはじめた。
彼女の手から、どんな平成の
安心院鏝絵が生まれていくのだろう。
 
鏝絵の町に生まれ育ち、新たな鏝絵づくりに挑む。

 大分県宇佐郡安心院町  。特産の葡萄を生かした安心院ワインやサファリパークなどで知られてきた町だが、近年、この町に伝わる、ある文化遺産が静かな注目を集めている。「鏝絵」である。
 「生まれ育った家にも鏝絵があって生活の中に普通にあった。『あ、かわいい絵がついているな』というくらいの気持ちだったけど、話を聞くうちに興味が出てきて」。
 こう語るのは、江藤智子さん。昨年から本格的に制作活動を始めたばかりの、弱冠26歳の鏝絵作家の新星である。動物好きだった江藤さんは、もともと地元の動物園で動物の飼育係をしていた。しかし大好きだったその仕事も昨年辞めてしまった。きっかけは、町内の特産物直売所「里の駅小の岩の庄」に作品を作ってみないか、という依頼を受けたこと。数年前に一度、小さい作品を趣味的に習って作ったことはあったが、その話を受けて「今、自分はこれがしたい、という気持ちが強まって。両立は無理なので」とあっさり退職を決意してしまった。
 鏝絵とは、古い住宅や土蔵の漆喰壁の一角、戸袋や妻壁(※注)などに、漆喰で描かれた彩色のレリーフのこと。「左官絵」の別名もあるように、左官が鏝を使い描いたもので、主に新築のお祝いとして、魔除け、厄除けや子孫繁栄の願いを込めて作ったものと言われる。
 その発祥は江戸末期。静岡県の伊豆にある松崎町に生まれた『伊豆の長八』こと入江長八という左官職人が、その始祖と言われる。
 江戸で活躍した長八の作品は多くの人の目に留まったが、その中に大分の日出藩江戸屋敷のお抱え左官職人だった青柳鯉市という人物がいた。長八と交流もあったという彼はその技術を学び、やがて維新後、町の左官となった彼からその子へ、弟子へと技術は広められていったと伝えられる。
 現在、特に鏝絵が多く見られるのはここ安心院町をはじめ杵築市、日出町、山香町、院内町、耶馬溪町、日田市、玖珠町など大分県北部一帯に広がり、その数は確認されているものだけでも640点を超えるという。長八の弟子達によって全国各地に伝播していった鏝絵だが、その密集度は大分が全国一とも言われている。そして、その中でも最も多くの鏝絵が現存していると言われるのが、ここ安心院なのである。

 
闊達でユーモアに富む、先人たちの仕事。
 安心院の鏝絵が注目されてきたのはこの十年くらいのことという。次第に注目が集まるにつれ、町は貴重な地域の財産として残存している鏝絵の把握調査をすすめ、およそ80カ所をリストアップ。そのうち見学可能なものを中心に、ガイドマップ、ガイドブックを作成し、案内看板などを整備するなど、PRと観光客への便の向上をはかってきた。とはいえ、ほとんどは個人の所有物。いずれも、もう百年を超える古い建物ばかりなので、建て替えなどの話もでてくる。やむを得ない建て替えの時は、鏝絵だけを切り取って別の公共施設に移すなどして、保存に努めている。
 安心院の鏝絵が注目されているのは、その数が多いためばかりでなく、その図柄が多彩かつユニークなものが多いせいでもある。
 先述の鏝絵の祖・入江長八は、もともと絵師を志し狩野派にも学んだというだけあって、その作品は高い芸術性を備えている。その緻密さ、繊細な表現は日本画と見まごうばかりである。
 これに対して、あくまでも左官職人の余技として全国に広まった鏝絵の多くは、おしなべて素朴なものが多い。中でもここ安心院に残る鏝絵には、自由奔放、力強くユーモラスなものが多いのである。
 鏝絵に登場するモチーフは、七福神の神々や、魔除け・厄除けのシンボルとなる虎、龍、獅子、鷹、子孫繁栄を象徴するウサギ、縁起が良いとされる鶴亀などの動物たち、宝船や打出の小槌、富士山、扇、松竹梅など縁起物の数々と多種多様。
 ただそれらを一枚の絵にまとめるというだけでなく、百年前の左官職人たちは、遊び心たっぷりの工夫やアレンジを随所に見せている。
 例えば、壁の片隅に小さなこうもり傘が描いてある。これは傘が日除けになることからすなわち『火除け』、火災除けの祈願の意味となる。また、一点描かれた鏝絵の横に小さな手指が描かれ、その人差し指の示す方向を辿ると、大黒様の使いとされる小さなネズミが壁の隅にいる。そちら側の壁に回り込んでみると大黒様の絵が描かれている、といった具合だ。
 これらの多くは、明治20年前後に集中して作られている。土地の文化として根付いたものというより、ある時期の建築のひとつのブームとして一気に広まったようだ。
 
自分なりの安心院の鏝絵を求めて
 最近ふたたび鏝絵が注目されて、商店街ぐるみで「鏝絵通り」を作ろうという取り組みも生まれているという。そんな中、「新人」の江藤さんのもとにも知り合いなどを通じて『うちにも描いて欲しい』という依頼が届くようになった。「自動車屋さんが好きな車の写真を持ってきて、これを描いてくれ、とか」。
 依頼者の希望に耳を傾け、そこの家のイメージ、掛ける場所などを考えながら、悩んで構想を練る。本、写真、昔の水墨画…参考になりそうなものがあれば、何でも目を通す。「喜ばれるのがいちばんなので」と一生懸命だ。
 江藤さんは古典的な図柄にはこだわらない。「七福神?人は苦手なんです」と笑う。だが、小さい頃から絵を描くのは好きだったという江藤さんが、特別な思いを寄せるモチーフがある。馬だ。
「小学校一年生の時、木材を運ぶ馬に乗せてもらった。その感覚が忘れられず、小さい頃からずっと馬を描いていた」。大人になった今も、馬好きはさらに高じて、阿蘇まで乗馬に出かけたり、アニマルセラピーのボランティアで月数回、馬とともにあちらこちらへ出かけている。そんな江藤さんの鏝絵に描かれた馬たちは、ひと際生き生きと、躍動感にあふれているように見える。
「昔は壁をちゃんと塗れない人は鏝絵も描けなかった。だから私はまだほんとなら鏝絵は描けないんでしょうけど」。
 職人の技術をじっくり習うことも大切と思う。でも今は、自分自身で試行錯誤をし、いろいろなことを発見していきたい、と江藤さんは言う。「なるべく昔ながらの自然のものを使いたい」と、着色も黒は自分で墨を作り、茶色は土を使う。
「墨を使っているときに発見したんですが、薄墨にすると、淡い青が出る。古い鏝絵でウサギが淡い青で描かれていて、何を使っているのかな、と思ったんですが、色が似ている。これじゃないかな、と。そういう発見の楽しみがある」。
 鏝絵発祥の地、伊豆の松崎町で、年に一回鏝絵コンクールが開催される。今年はぜひ出品してみたい、と江藤さん。「コンクールの作品は、大分の鏝絵とは全く違う。油絵のようであったり、色も鮮やかであったり。でも、私はここのスタイルで描きたい。自分なりの安心院の鏝絵が描けたらな、と思います」。
 素朴で奔放な鏝絵たちに囲まれて育った江藤さんの手から、この先どのような平成の安心院鏝絵が生まれていくのだろうか。大いに楽しみである。