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| 普賢岳の大噴火がもたらした、恵みの釉薬 | ||||||
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| 素材と深く対話する、科学者の目、少年の心。。 | ||||||
しかし、この油滴天目は、誰でもこの火山灰を使えば焼けるという代物ではない。「うわぐすりとして使うのにはかなりいろいろなノウハウがあって、普通に焼いたらこういう色にならない。だから余計に疑われてしまうんです。『本当に100%火山灰なの?』って(笑)」。灰の扱い方、焼き方…照さん自身、気が遠くなるような試行錯誤を重ねて作り上げてきたのだ。初めて油滴天目の焼成に成功したのが1992年。十年たった今、「歩留まりはだいぶ良くなってきている」とようやく言えるところまでやってきたのである。
「ずーっと考えているとある日突然、ぽっと浮かんでくる。それがとんでもないやり方だったりするんですが。でも今まで通りのことをしてたって、新しいことはできない。やってみて失敗したらまたそこから学んで、ということの繰り返し。案外まったく新しいことができるのは失敗から、ということが多い。自然界も、突然変異が環境にすごく適していたらそれがずっと残っていく。人間もそうかもしれないですよね。こんな裸のサルが生き残ってきたなんて」。 そんな照さんを、ハミさんは「科学者みたいな人」と言う。「一つのことに集中して、仮説をたてて。今度はこうやって、温度を上げてみよう、薪を足してみよう…と追求していく。あれはスゴイと思いますね。でも、汽車ポッポを見て夢中になっている、少年みたいでもある」。 照さんの頭の中には、すでに次の新しい焼き方のイメージがあるようだ。「今年、できるかもしれない。完成できればいいと思いますね」。 雲仙焼の特徴はこの油滴天目をはじめ普賢岳の火山灰を釉薬に用いた焼き物と、焼〆。いずれも造形と素材を生かした焼き上がりの風合いが命だ。 そんな二人が、特にこだわっているのが土。今はすぐに使える状態の土を業者から取り寄せることもできる。しかし、お二人は、あえて自分たちの手で原土から粘土を作る。土を水に溶いて、砂利を沈ませ、上澄みをすくう。それを繰り返して粒のそろった粘土ができる。 ハミさんは言う。「焼き物というと、ろくろを回して、窯焚きをして、というイメージですが、実はそこに至るまでの絵にならない仕事がたくさんある。今は、それを電話一本で省くこともできるんですが、私たちが作りたいものにとっては、その見えない部分がとても大切だと思います。それをひとつひとつ自分の手でやらないと、自分たちの作りたいものにならないので」。 |
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| 新しい土に挑戦、膨らむ期待。 | ||||||
これまでは、地元島原半島の加津佐町の赤土と佐賀・唐津の土を使ってきた。そして今はもう一つ、照さんの手元には、昨年夏にやはり近くの岳という場所で見つけた白い土がある。
「そこに昔トロッコがあって、耐火煉瓦用の土を堀り出していたという話を聞いて。ということは、火に強い土だろうと思い、掘らせてもらったんです。試しに焼いてみると、これがけっこう難しい土なんですね」。ろくろはむずかしくないが、焼き上がった時に、割れてしまったり釉薬が剥落してしまったりする。それをどういう風に解決するかが、照さんの今年の一つのテーマだ。この土の魅力は色と軽さ。厚くしても軽いのは茶碗の素材にはいいのだという。 「例えば、ハモは昔は骨が多くて食べられない魚だった。それがなぜ京都で名物になったかというと、技術なんですね。骨が口にあたらないほど細かく切ってしまう。いい素材を、どうしたらおいしく食べられるかと考えて、使えるようにするのが技術。焼き物は半分か、3分の2くらいが技術なんです。どういう形をつくるかも大切ですが、どうしたらそれが焼けて美しいか、という」。 一方のハミさんの今年のテーマは、「思い切り仕事をする」こと。長女の照砂さんがこの春高校に進学する。「子育ては、子どもが高校に上がったら一応いいかな、と。これからは、好きなことができるので楽しみ。今はとにかく土に触りたくて、仕事がしたい。焼き物は、中途半端にできそうで、できない仕事なんです。気が入ってないと、作品も生きてこない」。撮影のためにろくろを回していただくと、土に触れたとたんすーっと表情に凛然とした気がこもる。 照さんは作家としてのハミさんを「女性らしくて力強い」と表現する。「なかなかいない。女性らしいというと普通は柔らかい、というイメージなんですが」。その言葉に表現された微妙なニュアンスが、ハミさんの作品を見ると「なるほど」と納得する。
雲仙に生まれ育ったハミさんの作品は、あたかもその自然に育まれた木々や花々のように、その大自然の命を分け与えられて生まれ出て来たかのような生命感を持っている。「昨年は茶陶をしたんですが、今年は食器を頑張ってみたいな、と思っています」。 ところで、弟子はとらないのですか?と尋ねてみる。「まだ、自分たちが何を作るか、で精一杯。この世界、四十、五十は洟垂れ小僧ですから」と笑った。 |