福岡市中心部を東西に貫く道路(市道千代今宿線)は、にしてつの前身・福博電気軌道の開設時に整備されました。現在の「明治通り」という名称になったのは福岡市制施行100周年記念の1989(平成元)年です。それ以前は西鉄福岡市内線の貫通線(通称:貫線)の道路ということで「貫線」という名称で親しまれました。水上公園の再整備オープンなど天神明治通り地区の再開発計画が進むなか、天神・明治通りの歴史と景観の変遷を「天神明治通りの景観変遷」としてご紹介します(文責:益田啓一郎)。


 
竣工当時の天神橋(手前右)と西大橋(中洲橋)
1909(明治42)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP131
 
西中島橋上から天神橋を望む。天神橋大相撲のノボリが見える。
1909(明治42)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. F3062

1909(明治42)年、薬院新川に天神橋(架橋時は新川橋)、那珂川に西大橋(架橋時は中洲橋)が架けられ、現在の明治通り(当時は大橋通り)が開通し、以来博多部と福岡部の人の行き来が活発になりました。開通を記念して西中洲一帯で「天神橋大相撲」が開催され、たくさんのノボリや櫓が立ち並びました。翌1910(明治43)年3月9日、第13回九州沖縄八県連合共進会開幕を2日後に控えて福博電気軌道(大学病院前〜西公園間、博多停車場〜呉服町間)が開業。天神橋付近には西中洲電停が開設されました。

 
天神橋の開通後に開催された「天神橋大相撲」のノボリが立ち並ぶ
1909(明治42)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP133
 
天神橋の開通後に開催された「天神橋大相撲」のノボリが立ち並ぶ
1909(明治42)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP121
 
福博電気軌道開通記念の絵葉書、試運転写真を印刷したものだが写真が左右反対
1910(明治43)年3月 所蔵:益田啓一郎
写真No. RIMG028
 
福博電気軌道開通当時の天神橋付近
1910(明治43)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP134

現在も西中洲に遺る旧県公会堂は、1910(明治43)年3月から5月にかけて開催された第13回九州沖縄八県連合共進会の開催に合わせて貴賓館として建設されました。1912(明治45)年2月、天神橋東詰の西中洲に大同生命九州支店が落成。さらに1915(大正4)年4月、福岡県庁舎の新庁舎が落成、1916(大正5)年には天神橋西詰に福岡県物産陳列所が開設されて、11月に開催された陸軍特別大演習の際には県庁に大本営、物産陳列所に統括部が置かれました。大演習をきっかけに東中洲の電車通り沿いには次々と料亭や飲食店が立ち並び始め、歓楽街化が加速します。

 
第13回九州沖縄八県連合共進会の貴賓館として建設された旧公会堂
1910(明治43)年3月 所蔵:益田啓一郎
写真No. M43KK13
 
第13回九州沖縄八県連合共進会の貴賓館として建設された旧公会堂
1911(明治44)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP127
 
福博電気軌道開通後の天神橋・市役所、水鏡天満宮付近
1915(大正4)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP135
 
陸軍特別大演習で統括部が置かれた福岡県物産陳列所(現・毎日会館の場所)
1916(大正5)年11月 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP080

天神橋と西大橋という2つの橋が続く電車通りの水辺景観は大正初期には福岡市の代表的景観となり、数多くの絵葉書が発行されました。旧来は唐津街道沿いに集中していた商店も次第に電車通りに進出し始めます。1914(大正3)年4月には、松永安左エ門が設立した筑紫電気軌道(のち九州鉄道、現在の西鉄天神大牟田線)が筑紫郡住吉町(春吉)と三井郡国分村(東久留米)を結ぶ鉄道(43.5km)の特許を取得していますが、天神交差点付近の可能性に着目して親会社の九州電灯鉄道本社を東中洲から天神町へ移し、起点も天神交差点付近へ変更しています。最初の計画通りに鉄道が開業していたとすると、福岡駅は西中洲に出来て現在の天神付近の発展は違う形になったかもしれません。

 
那珂川の景観、大同生命ビルや西大橋
1919(大正8)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP124
 
那珂川の景観、福岡県物産陳列所や天神橋、大同生命ビル
1919(大正8)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP123
 
西中洲付近、大同生命ビルや福岡県物産陳列所
1919(大正8)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP110
 
西中洲付近、天神橋と大同生命ビル
1919(大正8)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP122
 
西中洲付近、福岡県物産陳列所
1920(大正9)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP116
 
西中洲付近、天神橋、大同生命ビル
1919(大正8)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP125

1920(大正9)年1月、西中洲に福岡最初の本格的喫茶店といわれる「カフェー・ブラジル」が開店(のち水上閣)。1922(大正11)年6月1日には、春吉・西中洲を含む筑紫郡住吉町が福岡市に編入されました。編入に際し西中洲・春吉地区の道路整備と合わせて現在の水上公園付近の埋め立てと緑地化が始まり、段階的に埋め立て整備が行われます。

 
西中洲付近全景、大同生命ビル、県公会堂
1920(大正9)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP136
 
西中島橋から天神橋、大同生命ビル、カフェー・ブラジルを望む
1920(大正9)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP125
 
段階的に埋め立てが進む水上公園、県物産陳列所
1921(大正10)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP117
 
段階的に埋め立てが進む水上公園、大同生命ビル、カフェー・ブラジル
1921(大正10)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP111

1923(大正12)年7月、那珂川と薬院新川の合流点に福岡日日新聞が夏季限定(40日間関西)で屋形船座敷の水上浮殿「那珂川水上遊園」が開園。同年8月22日には皇太子御成婚記念「水上公園」の地鎮祭が行われて本格的な造成が始まりました。翌1924(大正13)年1月26日、皇太子御成婚記念「水上公園」は開園式を挙行し一部開園しています。音楽堂が完成し、水上公園全体が竣工したのは1925(大正14)年11月でした。

 
第一期工事が終わり開園した皇太子御成婚記念「水上公園」
1924(大正13)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP050
 
音楽堂が完成し全体が竣工した皇太子御成婚記念「水上公園」全景
1926(大正15)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP001
 
皇太子御成婚記念「水上公園」と東中洲、名物福助足袋広告塔
1929(昭和4)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP002
 
完成した皇太子御成婚記念「水上公園」全景
1927(昭和2)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP082
 
那珂川河畔から水上公園、水上閣、大同生命ビルを望む
1927(昭和2)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP103
 
天神橋と県物産陳列所
1927(昭和2)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP129

戦後1950年代の西中洲・水上公園には森永やセイコーの広告塔が建ち、復興する福博の街の象徴的景観として観光案内や絵葉書に登場し続けます。1975(昭和50)年11月、福岡市内線(貫通線・城南線・呉服町線)が市営地下鉄工事にともない廃止となり路面電車は姿を消しました。それまで国体道路で開催されていた「博多どんたくみなと祭り」や昭和通り経由で天神に入っていた「博多祇園山笠」集団山見せは明治通りで開催されるようになります。西大橋架替および市営地下鉄開通後の1983(昭和58)年には水上公園の再整備が進み、モニュメント「風のプリズム」が噴水中央に設置されました。また、戦前の観光名所だった西公園「小田部の藤」を株分けした藤棚が設置されていましたが、2016(平成28)年夏の再開園を前に更地化され、藤棚も姿を消しました。
 
戦後復興期の水上公園の広告塔、天神遠望
1955(昭和30)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP151
 
明治通りのビル建設が進み水上公園に噴水が登場した頃
1965(昭和40)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP091
 
水上公園の噴水と東中洲の夜景
1965(昭和40)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. F3378
 
西中洲・天神橋を通過する福岡市内線の路面電車
1975(昭和50)年 撮影:松嶋克廣
写真No. MNFS694
 
天神橋を進む福岡市内線の路面電車と大同生命ビル
1975(昭和50)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NNR303
 
天神橋を進む福岡市内線の路面電車と大同生命ビル
1975(昭和50)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NTBS002
 
竣工当時の毎日会館と水上公園の噴水
1970(昭和45)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. HNSP092
 
福岡市内線廃止・西大橋架替後の東中洲と水上公園
1984(昭和59)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. F3377
 
 

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