福岡市中心部を東西に貫く道路(市道千代今宿線)は、にしてつの前身・福博電気軌道の開設時に整備されました。現在の「明治通り」という名称になったのは福岡市制施行100周年記念の1989(平成元)年です。それ以前は西鉄福岡市内線の貫通線(通称:貫線)の道路ということで「貫線」という名称で親しまれました。水上公園の再整備オープンなど天神明治通り地区の再開発計画が進むなか、天神・明治通りの歴史と景観の変遷を「天神明治通りの景観変遷」としてご紹介します(文責:益田啓一郎)。


 
天神交差点角に完成した九州電灯鉄道本社ビル(現・天神ビルの場所)
1917(大正6)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. FTH421
 
天神交差点角に完成した九州電灯鉄道本社ビルの落成式
1917(大正6)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. KDT003

1910(明治43)年に福博電気軌道を開業した松永安左エ門は、1917(大正6)年7月5日に九州電灯鉄道の本社を天神町58(現在の天神ビルの場所)に移転します。鉄筋コンクリート3階建ての新本社ビルは、竣功当時福岡市最大の建築物として威容を誇り、屋上の時計台は天神町最初のシンボルとして永く市民に親しまれました。それ以前の天神交差点付近の写真は殆んど残っていませんが、以降は同ビルを中心に天神付近の発展が始まり、絵葉書にも登場するようになりました。

 
九州電灯鉄道本社ビル落成式で運行された花電車(現・明治通りを進む)
1917(大正6)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. KDT002
 
天神交差点角に完成した九州電灯鉄道本社ビルの落成式
1919(大正8)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. KDT001
 
福岡橋口町から新築移転した福岡郵便局(現・福岡ビルの場所)
1920(大正9)年12月 所蔵:益田啓一郎
写真No. FF7208
 
福岡市の絵葉書セットに初登場した頃の天神交差点
1921(大正10)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. POS27

1924(大正13)年4月12日、九州鉄道(現・西鉄天神大牟田線)福岡ー久留米間39.1kmが開通し、天神交差点南角に九鉄福岡駅が開業ました。渡辺通りを挟んだ駅の東側には同年、天神最初のマーケットとなる賃貸店舗の商店街「九鉄マーケット」が開設され、駅前を中心に天神町通り(現・明治通り)への商業集積が始まりました。

 
初代・九鉄福岡駅の全景。右端が福岡高等女学校(現・新天町)
1924(大正13)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. YAST019
 
九鉄福岡駅(左)と天神交差点
1926(大正15)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. MFA013
 
天神交差点付近を進む「東亜勧業博覧会」をPR幕を掲出した電車
1927(昭和2)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. FF7205
 
九鉄福岡駅(左端)と天神町電停に停車中の電車
1929(昭和4)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NTBR413

天神交差点付近は、昭和に入ると商店の進出が続きます。1930(昭和5)年8月には九州初となる信号機も設置されましたが、最初の信号機は台車がついた手動式でした。数年後には電気照明式の信号機も登場し、交差点付近は木煉瓦舗装からアスファルト舗装に変わります。同じ頃、橋口町の電車通り角に松屋百貨店が開業し、九鉄福岡駅と松屋のある橋口町交差点への人の流れができました。松屋の屋上には「航空灯台」が設けられ、戦前の天神一帯の名物となりました。

 
昭和9年頃の天神交差点と九鉄マーケット
1934(昭和9)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. FF7230
 
昭和5年8月、天神交差点に登場した九州初の信号機
1930(昭和5)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. MFHP002

1936(昭和11)年3月から5月にかけて、博多築港の第1期工事竣工を記念して長浜地区の埋立地(現在の那の津通り、福岡ボート、KBC一帯)で「博多築港記念大博覧会」が開催されます。天神交差点は現在の那の津口付近に設けられた博覧会場入口にも近く、九鉄急行電車で福岡駅へ到着した見物客の列が天神交差点まで続く賑わいとなりました。

 
天神交差点から松屋百貨店(現・ミーナ天神の場所)を望む
1933(昭和8)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. FF7232
 
博多築港大博覧会の正門付近の賑わい
1936(昭和11)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. HCKH002
 
博多築港大博覧会の会場全景(現在の那の津通り一帯)
1936(昭和11)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. HCKH005
 
博多築港大博覧会に合わせて運行された花電車(左は建設中の岩田屋も見える)
1936(昭和11)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. hanams01

九鉄福岡駅が南へ移動して1936(昭和11)年10月7日、九州初のターミナル・デパート岩田屋が開業しました。岩田屋の登場は先に開店した松屋百貨店とともに天神地区商業地化の起爆剤となり人の流入が加速、天神交差点を中心に現在の渡辺通りに商店が立ち並ぶようになります。前後して、電車通り(現・明治通り)沿いには次々と銀行や生命保険会社が開設され、証券取引所も博多部から移転して金融街の様相となりました。

 
岩田屋が開業し賑わいをみせる天神交差点
1938(昭和13)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. FF7233
 
住友銀行天神町出張所
1933(昭和8)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. FF7235
 
岩田屋が開業し賑わいをみせる天神交差点
1937(昭和12)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. FKDP052
 
九鉄マーケットを中心に商業集積が始まった現・渡辺通り(右下が初代福岡駅)
1933(昭和8)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. FF7224

1945(昭和20)年6月19日の福岡大空襲により、天神交差点付近も多くの建物が消失しました。岩田屋は焼け残り、旧東邦電力ビル(九州電灯鉄道ビル)は時計塔が焼け落ちました。それでも被害は当時の福岡市の中心繁華街である博多部や東中洲に比べて軽微で、この事が天神地区が戦後いち早く復興する原動力のひとつとなりました。1946(昭和21)年には福岡高等女学校跡地に新天町が開業し、1949(昭和24)年には現在の天神コアの場所に九鉄マーケットを再興した「西鉄商店街(西鉄街)」が開業して復興が加速していきます。

 
岩戦後復興期の天神町交差点(現在の福岡ビルの場所を望む)
1952(昭和27)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. N001H4
 
復興が進む天神交差点一帯
1955(昭和30)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. ZNT017

天神一帯の都市計画(戦災復興事業、街路事業)の一環として、西鉄福岡駅の高架化が行われ1961(昭和36)年11月1日に竣工しました。同じ頃、現在の明治通り沿いには天神ビル(昭和35年竣工)、福岡ビル(昭和36年竣工)をはじめとするオフィス中心の高層ビル群が次々に建設され、交通体系の整備との相乗効果で天神明治通り沿いは九州有数のビジネス街へと発展していき、現在の天神の骨格が完成しました。

 
オフィスビル建設が始まった頃(天神交差点から西側を望む)
1955(昭和30)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. FSG1955
 
完成当時、西日本最大のオフィス・商業の複合ビルだった福岡ビル
1970(昭和45)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NKG155
 
東京オリンピックの聖火ランナー通過中の天神交差点
1964(昭和39)年9月 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NKR730
 
福岡市内線路面電車廃止後の天神交差点
1999(平成11)年 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. BSNP379
 
 

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